趣味・近況報告

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 アニメ映画【君の名は。】と新海誠監督とは・・・今は新聞、TV、映画で知らない人はいない。
≪新海誠監督は野沢北出身で、父君も卒業生とは知らない岳南会や長野県人会の方がいる≫≪今、人気一位の小説を紹介し中高年の青春時代を振り返る。≫

君の名は・・・は昭和30年頃、菊田一夫作、春樹と真知子の出会いとスレ違い。古い昭和28年 『岸恵子と佐田啓二主演の映画の話。当時はラジオで聞き』 映画を見る・・・見てもいない私だが何故か話になる。『🎵君の名はと たずねし人あり、、、』織井茂子は唄う、、 
 さて、60年を経た現代の・・【君の名は。】「きみのなは(kimi no na wa)」と読みます。
東宝映画で既に1350万人が鑑賞し興業収入100億円突破。(11月23日現在189億円突破)国内歴代興収第6位の『もののけ姫』(興収193億円)、第5位の『ハウルの動く城』(196億円)にあと4~7億円と迫っている。 宮崎駿監督以外で初めての大ヒットと言う。
 では、現代の【君の名は。】・・・での出会いとスレ違いはどうか? 田舎の女子高生が都会の男子高校生に憧れて・・・なぜ、この大ヒツト作を身近に思うのか・・・
 原作脚本監督の新海誠さんは小海町出身で野沢北高卒業の、本名・・新津誠さん。また、お父さんも北高卒で何と身近な存在なのか・・・
 早速、映画を見ると、美しい画像、妥協せず手抜きなき仕事、多くの人を束ね高度な作品を作り上げる等素晴らしいものを知る。
 佐久の故郷を思い出しながら・・・昔の小海橋、小海線路の車両走行音と町?をイメージ? 監督43歳に去来する少年時代は深く心に残るのかも知れない。
 四ッ谷駅、千駄ヶ谷、代々木駅、新宿駅等正確な描写に懐かしい東京生活の頃を思い出し、若い監督が上京時にも東京の印象深いところなのかも知れない。
 私もアニメの世代を超えて、小海町と今を時めく新海監督に、野沢北をとおした大作を我々も見ねば・・・と鑑賞した次第です。
また゛公開12週目(11月12・13日)も観客動員数一位の映画は今後世界の舞台へと広がりを見せている。
 次は、新海誠さんの小説にも注目、【小説 君の名は。】もまた、既に120万部突破・・・本屋で第一位を続けている。他にも、角川文庫で【小説 秒速5センチメートル】【小説 言の葉の庭】があり、何れも我々その昔、若い青春時代が胸に迫り、たまらないひとときをもたらしてくれる。
               投稿 佐塚 浩 2016年11月26日




    【寝覚めの床】と【白樺湖】
 混雑するお盆休みを避け、先日、中津川から19号線を通り、30年振りに寝覚めの床に寄りました。
何時もは高速道路や、新幹線を利用してトンボ帰りの様な慌ただしい帰郷をしておりましたが何時もは高速道路や、新幹線を利用してトンボ帰りの様な慌ただしい帰郷をしておりましたが、今回は、趣向を変えました。

森林浴をしながら信州の道を車でのんびり走りました~白樺湖畔でキャンプをして、蓼科牧場の周りは馬や乳牛が放牧されて居るのを見ながら、白樺林の中を散策してきました。
白樺湖を見渡せるスキー場のゲレンデにユリ、キスゲ、コスモスなどの花々が満開に咲いており、リフトに乗りながらの空中散歩・・思いがけないプレゼントがありました。
今回は高い山々は見れなくて残念でした。
後、何回来れるかな~と思いつつ・・次回はどこへ行こうかと・・?!同窓生の皆さん、穴場があったら教えて下さい。
                         平成25年9月 鈴蘭会40年卒 佐野泰子




     ≪ 近況報告 ≫
 平成23年5月、奈良県文化会館で奈良万葉書道展があり、
関西鈴蘭会 草間やす子氏が出品されておられるので、見に行って来ました。
県歌、信濃の国の歌詞を横長の額でやさしい字でした。
つい、その前で立ち止まりお腹の中で歌ってしまいました。素晴らしい作品でした。


田舎より春の宅急便が届きました。時々、季節毎に色々と届きます。
ありがたいですね!蕗の薹(とう)やウドから始まり、昨日はウドの葉・こごみ(ぜんまいのようなもの)お浸しや天ぷらにして頂きました。    
小さい頃から食べた味は(特に母の味)忘れられません!遠く離れて暮らしていても、又、それを想って下さってか、両親が居なくなっても、誰かしら送ってくれます。
田舎が在るってうれしいですね~皆様に感謝しております。
                   関西鈴蘭会 40年卒  佐野泰子 (2010年5月)
                こごみ:草蘇鉄(くさそてつ) 




      冬の佐久を訪れました
  
平成22年2月20日、久し振りに冬季の佐久に行って来ました。
夜半の3時に大阪を出発して名神高速・中央道を直走り恵那トンネルを貫けた頃には南アルプスの峰々が明るく耀き始めました。諏訪湖SAで全面結氷している諏訪湖を眺めながら朝食を摂りました。
朝9時‥公魚釣り客の疎らな‥松原湖に倒着しました。
流石に標高1,100m超だけに白銀の世界!!そして、ゴルフ場を備えたスキー場のリエックスホテルにスノボーを楽しむ娘達を降ろした後、独りで今回の目的地、母校がある野澤・中込を目指しました。

     松原湖       粗氷した白樺の木々    リエックスのコテージ 
先ずは野沢橋‥11年10月に現在の橋に架け替えられた‥千曲バス本社跡(現:中島公園)そしてJR中込駅と廻りました。学生時代とはスッカリ趣きを変えてしまっている街並み・風景に、暫し青春時代を捜し懐かしみました。

  野沢橋から望む浅間山     中島公園         JR中込駅舎
中込から滑津方向へ走り、明治8(1875)年12月に落成、その後、解体復元・保存修理されたが、県重要文化財・国史跡指定の我が国に現存する疑洋風学校ではする疑洋風学校では最古の
135年の歴史を誇る旧中込学校に立寄りました。

           中込学校                     南高の校門・校舎
それから南高の校舎に廻りました。コンクリートの三階建て校舎と自転車置き場が目立つ風景に‥‥それから北高へ‥校門は変わりませんが、三階建て校舎は全てコンクリートと南高と同様な風景に‥校門の脇に鎮座する校碑?は初対面でした。・・・後に知りましたが、『校名石碑』で五一岳南会の先輩方が卒業30周年記念事業として昭和60年9月1日に寄贈された・・・物でした。
『校名石碑』の左隣りに旧校舎の石段が展示されていました。大先輩達の足跡が連綿と刻まれて…高歯下駄のカランコロン…が聞こえるように感じられました

     北高の校門・校舎            校名石碑            玄関階段敷石
そして、春秋にハヤベンの場にさせて頂いた洞源山貞祥寺へ‥
 大永元年(1521)前山城主の伴野貞祥公が祖父・光利と父・光信の追善の為に開基し、叔父にあたる武蔵国の節香徳忠禅師を招聘し開山としたと言われる。
曹洞宗寺院の伽藍を配置する七堂伽藍を整えた寺院で、禅道場として海外にも知られているそうです。

境内には島崎藤村の旧宅と縁の文学碑がある。県宝に指定されている山門・惣門・三重塔を観た後、本堂へ…本堂脇には水中特攻兵器人間魚雷【回天之碑】が在りました。

太平洋戦争の悲愴な記憶として、昭和51年6月6日長野県回天会により建立されたそうです。
《 前山は仁科少佐の実父の故郷 》特攻と言えば、在校時代に西川俊彦陸軍中尉の話を今は亡き母から…昭和20年8月18日(終戦3日目)に戦闘機が岩村田国民学校に遺書を投下、野沢中学校(現野沢北高)の上空を旋回した後、北に進路をとって浅間山に激突して死亡した
【岳南会名簿には殉職とあります】‥‥又、叔父も特攻隊員で出撃直前、浜松で終戦を迎えた‥‥と聞かされました。
戦後生まれの私は、なんと平和な時代に生きているんだ‥‥と思いました。
西川中尉に興味のある方は『佐久・小諸の昭和史』郷土出版社刊;をご覧下さい‥今は眼下に、紫の佐久の高原と千曲のうねりを見下ろし、変わらぬ人間の営みを見守っている。
火の山、浅間山…朝な夕なにその姿を変えて、美しい故郷の形づくる中心的存在です。

野沢橋は20日9時に・・・・・左は同日11時に臼田稲荷山から・・・・・右は同日1時に竜岡城から平賀へ向う広域農道・・・・・で撮影。   翌21日に再度の撮影を試みましたが、終日雲がかかってしまって、ノーチャンスに終わりました。
≪2日間で約1,000㎞を走りました。高速料金は往復で3,900円‥安い!≫
                                      ‥‥‥‥ 中井 記











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