総会令和5年

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  令和5年度関西岳南会関西鈴蘭会 合同総会が開催されました
  令和5年5月13日(土曜)11時~15時 於:ホテルグランヴィア大阪

     【 関西岳南会 総会 】
   開会挨拶   井出 関西岳南会 名誉会長 (56回 35年卒;八千穂)
 皆さんこんにちは。本日は、関西岳南会の総会にご出席有難うございました。
 本来なら、会長の三浦文夫君がご挨拶を申し上げるべきところではありますが、誠に残念なことに三浦君が足を骨折してしまいまして、医師から身体を動かすこと増してや外出は禁止されて、誠に残念なことに欠席を余儀なくされておりまして、急遽、私・井出が代役を務めさせて頂きます。
 本日は、故郷の佐久から、岳南会の吉岡会長と野沢北高の柳澤学校長のお二人に御多忙中にも拘わらず、ご臨席を賜っております。お二人には野沢北高創立120周年式典や南高との統合問題、佐久の近況等お話いただけると期待しております。
 また、北高で伴に学んだ同級生の作詞家・いではく氏、本名井出博正君が『北国の春 誕生秘話』のお話を聴かせていただける予定です。この企画は三浦会長が大変努力をされて実現したものであります。重ね重ね彼は、「自分の不注意で怪我をしてしまい、来賓の吉岡会長・柳澤学校長、ご出席の皆さんに誠に申し訳なくお詫びのしようが無い。宜しくお伝え願いたい。」と、申しておりました。


  来賓挨拶    岳南会  吉岡 徹 会長 (57回 36年卒;栄)
 コロナ渦の行動制限が緩和されたとは言え、まだ気を緩められる状況ではありませんが、昨年10月22日(土曜)に、本校創設120周年記念式典(1901(明治34)年、県立上田中学校野沢分校として創設)が1年順延して、600名弱の在校生に加え、来賓を含めて計約1000人が参加して挙行されました。
式典に続き、各界で活躍されている同窓生七人による記念フォーラム『佐久の風土と北高、そして未来』が2時間30分に亘り熱の籠ったトークが繰り広げられました。   
登壇者は
いで はく(56回)作詞家 前日本音楽著作権協会会長 吉岡 忍(63回)前日本ペンクラブ会長 佐々木 剛史(72回)TLO 京都顧問 原 真人(76回)朝日新聞東京本社編集委員 小泉 修一(78回)脳科学者 山梨大学医学部教授 青木 理(81回)フリージャーナリスト 小木田 順子(81回)幻冬舎新書編集長 の皆さんでした。
 現在、佐久地域の高校の普通科は北高で5クラス、南高で5クラス、岩村田で5クラスの15クラスですが、10年後には5クラス分の生徒が減少するという予測がされています。そこで北高と南高を統合するという課題に取り組んでいます。新たに創る高校は8クラスで【佐久地域の進学の拠点校】で『進学を目指す子供を佐久で育てる』ことで一致しております。
 では、何処に建設をするのか?1案は駒場の通称【種畜牧場】長野県が所有して国に貸している敷地面積は101ha有る内の6haを活用する。2案は両校の生徒の3分1が汽車通学の為、中込駅から至近な場所を選定。3案として、「現野沢北高校の地が妥当」との見解が発表しました。
 もう1つは【進学拠点校】と申し上げましたが、佐久の近隣では上田高校(偏差値65)と山梨県の韮崎甲陵高校(偏差値65)に40人以上が流出している現状です。『新校の環境を整え、逆に優秀な生徒が流入してくる魅力ある高校を創り上げたい。』と、今後は、新校の学びの形をしっかり形成するとともに、開校以来120年にわたって培ってきた質実剛健、自主自立の精神を初めとする母校の伝統、文化をしっかり新校に繋げていくことに努力を致して参ります。皆様の引き続きのご支援をお願い申し上げます。

   本部報告   野沢北高等学校 柳澤 敬 学校長(79回 58年卒;小諸)
 令和4年4月より学校長を務めます柳沢敬でございます。それまでは、高校教育課高校再編推進室にて北信地域の再編を担当しておりました。私は、79回の野沢北高の卒業生で出身は小諸です。小学校5年生の時に、丸子実業を破って甲子園出場を果たした野球部を見て、仲間と『絶対に野沢北へ入って野球をやる』と約束して、芦原中学から6人が入学しました。
 昨年は、コロナ禍で延期されておりました創立120周年記念式典・教育フォーラムが盛大に執り行われました。御準備いただきました実行委員長の吉岡徹岳南会長様始め、御支援・御協力を賜りました全ての皆様に心より感謝申し上げます。また、記念事の一環として空調施設の充実や理科講義室の機器購入、探究ステーションの整備等に御支援をりましたことにつきましても、改めて御礼申し上げます。
 また、六月の日輪祭では、在校生家族に限定した二日間の一般公開では、千人近い来校者を迎え、熱中症対策を講じた運動会も含め、素晴らしい日輪祭となりました。10月には、1年生が白樺湖で2泊3日の学習合宿を行いました。また、2年生は修学旅行で沖縄を訪れました。中学で修学旅行を経験できなかった生徒も多く、大変意義深いものとなりました。
 県教委の「未来の学校」構築事業で、野沢北は【スーパー研究 研究校】に指定されました。『伸びる力を更に伸ばすための卓越した探究的な学びの創造と推進』に着手して三年目を迎え「探究を核とした学び」は着実に進化を遂げおります。1年生2年生では探求をし、3年生が論文を纏めています。成果としては〖長野県防災セミナー〗の研究会において、本校・理数科の生徒が『浅間山に火砕流が発生した時に想定される被害』の研究発表を行いました。現在は、南相木村役場の協力を得て、『ハクビシン(白鼻芯)の行動観察』を進めています。
 理数科の課題研究と合わせて今後は、同窓生の皆さんを中心とする外部サポーターの協力や佐久エリアコンソーシアム…たような人々と協働し、地域の未来社会を共創するコミュニティ…の構築と活用により更なる充実を目指してまいります。
 至近の進学状況を簡単に報告します。以前は300名以上の卒業生がいたのですが、本年196名の卒業生は、関西では京都大学・大阪大学に各1名を始め、主要国公立大学には71名。私立大学には250名が合格しました。昨年は信州大学に野沢北から現役で18名が合格しました。
 関西岳南会の皆様にも彼らの活躍に注目、そして応援をよろしくお願い申し上げます。

   総会議事
 議事説明・・・ 佐塚 浩 関西岳南会 副会長 (58回 37年卒)
  議題Ⅰ 4年度活動報告
   ①総 会 開 催  6月25日 出席者 岳南会本部2名 会員13名
   ②役員会開催 11月26日 出席者 役員8名 (関西鈴蘭会4名)
  議題 Ⅱ 4年度 会計報告
  お手元の実績報告書をご覧ください。一昨年とほぼ同じ収支となります。    繰越金は前年259千円に対し、繰越額は323千円、64千円の増額。
  年会費入金は46名92千円、これを会活動を継続する事務経費に充当した。  (会費は総会開催案内・総会報告の作成・送付を継続するのが基本。なお、
  総会・役員会開催費は参加者負担を基本とする)特記事項は杉浦さんからの
  寄付があり、会則第4条にて経費に算入しました。

  議題 Ⅲ  5年度 計画

   閉会挨拶   関口 哲生 関西岳南会顧問  (43回 23年卒)
 吉岡会長・柳沢学校長には佐久市からわざわざご出席を頂きましてありがとうございました。吉岡会長のお父さんとは親しくお話をさせておりました。私は佐久へ帰ったら学校を訪問して、時には授業も見学させて欲しいと言って、参観をすることを楽しみにしております。ある時ベートーベンの第九の演奏会を観賞させていただき、「さすがは北高!」と感心しました。
 北陸新幹線が伸延してから佐久までが近くなりました。関西で佐久・北高を想い、新校が一日でも早く完成することも願っています。


    【 関西鈴蘭会 総会 】 
   
開会挨拶   佐野 関西鈴蘭会会長 ( 17回 40年卒;八千穂) 
 
皆様こんにちは。長田先生、中村先生、ご臨席を賜わりありがとうございました。佐久から遠いこの地で細々と活動をしている関西鈴蘭会のことをお気に掛けていただき御礼申し上げます。
昨年の総会で秋山さんが会長を辞任され、会長を仰せつかりました佐野泰子です。
 平成18年5月19日に、なんば 中央軒『海王 HAI WAN 』で関西岳南会の支援を得て、野沢南高等学校OB会を開催してから17年が経ちました。発会の19年度総会には本部から岩間会長・岡本副会長にご臨席いただき、11名の会員が集い、坪井初代会長の回顧文『最後に全員で『信濃の国』の斉唱をした時には、大阪のド真ン中に突然信州の風が吹き出したようで感動しました。』のように賑やかに開催されていましたが、年を経る度にお出掛けに支障をきたす会員の皆さんが増えて、本日は会員が4名となってしまいました。
 同じく坪井初代会長の回顧文『縁あって野沢南高を卒業し、関西に住むことになった者たちが、この会をきっかけに何らかの交流が持てるようになれば‥‥』と考えて、同窓会名簿を頼りに関西在住の同窓生に呼びかけまして、一人でも多くの方にご出席いただいて関西鈴蘭会の発展に努めて参りたいと思いますので、引き続きご協力・ご支援をお願い申し上げます。


   来賓挨拶   同窓会会長 長田 芳子(29回 52年卒:野沢)
 本日は関西鈴蘭会の総会にお招きいただきありがとうございました。私は今年度より同窓会会長の任を仰せつかりました長田芳子と申します。長年にわたり務められた中島瑞枝会長から引き継ぐことになり身の引き締まる思いです。今回の役員改選は、中島会長と供に先輩の副会長の箕輪さん岡本さん鷹野さんのお三方も退任を申し出られて、残された若輩の副会長の私に‥となった次第です。高校再編という大きな課題を始め未知の世界に踏み込むことになります。まだまだ経験不足ですが、会員の皆様のご期待に背かないように精一杯努力致しますので、宜しくご支援を賜りますようお願い申し上げます。

   本部報告  野沢南高等校 中村 信秋 学校長 (80回59年卒;小諸)
 4月に井出豊彦前校長の後任として着任しました 中村 信秋と申します。よろしくお願いいたします。前任は上田東高等学校で教頭を勤めて参りました。同窓会会員の皆様にはこれからお世話になるかと存じますが、どうかよろしくお願いいたします。
 ここ数年間、長野県の高等学校の再編事業は新たな局面に差し掛かり、佐久地区でも野沢南と野沢北両高等学校を統合して新校を創設する課題が示されておりますが、今年度も新入生(全日制:201名・定時制:14名)を迎えても110年の歴史と伝統は変わることなく継続しております。同窓会会員の皆様のお力添えをいただきまして、微力ながら努力をしてまいる所存でございますので、同窓生の皆様のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

   総会議事
  議題Ⅰ 4年度活動報告並びに5年度計画
   ①  総会開催 6月25日(土)出席者 本部参加なし・会員5名
   ② 役員会  11月26日(土)出席者 会員4名
  議題Ⅱ 4年度 会計報告並びに5年度 予算案
   ①  令和元年~3年度はコロナ禍の為総会中止
   ② 収入 16千円(年会費8名分)  繰越金 136千円
  議題Ⅲ 令和5年度活動計令和5年度活動計画及び予算
   ① 総会開催 5月13日(土)出席者 本部2名・会員4名
   ② 役員会  11月ごろ予定
   ③ 予算 収 入 47千円(年会費9名分・総会会費・同窓会より祝金)
        支 出 38千円(総会開催費)    10千円(通信費)
        繰越金 135千円 *会計報告は年度末にします。

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  【 特別講演 】 『《北国の春》誕生秘話 』
   演者紹介   井出 千束 名誉会長
 いではく氏を紹介させていただきます。博正君とは北高時代同じクラスで、姓が同じ【井出】なのでファーストネームで呼び合っていました。席の並びもアイウエオ順だったので前後の机‥彼の前に私が座り‥三年間一番近い処で過ごしました。また、会長の三浦君も同じクラスで、海瀬駅、八千穂駅、海尻駅で乗り降りする小海線のディーゼルカーでも良く一緒に通学もしました。そして、不思議な縁が有ってか、私の姉が教師になり最初の赴任先が南牧村で彼の家を借りていた事もありました。 卒業してからは中々逢う機会が無くて、1回だけ同級会の時に再会して『遠藤実の秘書をしている』と聞いて驚いた記憶があります。黒澤節男 氏(元九州大学芸術工学研究院教授)も同じクラスで、『彼が来るなら是非とも出席したいが車椅子生活で、家内が腕を骨折したので、残念ながら…』、今回の企画立案者の三浦君も足の骨折で欠席となってしまい、両人とも大変悔しがっていました。


   作詞家  いで はく 氏  (野沢北高56回:昭和35年卆)
 只今、千束君から紹介いただきました いではく です。今日ここでお話をさせていただくことになったのは、昨年10月22日(土曜)に、本校創設120周年記念式典の会場で、三浦君と話をしていた時に、『関西でも岳南会を毎年開催しているので、一度その席で話をしてくれないか?』と言われて、冗談で『ゴルフと温泉を用意してくれるのなら‥‥』と答え、『北国の春 誕生秘話 とでも題して話そうか』ということになったのです。
 私が、何故作詞家になったか?というと遠藤実 氏と知り合ったから‥。きっかけは、大学時代の友人と教材販売の会社を始めて、最初は売れ行きも順調でしたが取引先が経営不振になって巧くいかなくなり、偶々仕事で訪れたスタジオで遠藤実氏と出会ったの縁で秘書になった、29歳でした。
もともと子供の頃から文章を書くのが好きだったから、その後は遠藤実氏の秘書兼弟子となって作詞を学びました。1971(昭和46)年に作詞家となり、1973(昭和48)年に『親子流し歌』唄:一節太郎でレコードデビューした。そして、1976(昭和51)年に『すき間』唄:杉良太郎・作曲:遠藤実、を作詞してヒットした。続けて、太川陽介のデビュー曲『陽だまりの中で』の作詞を手掛けていた。その頃からオリコンランキングの載り始めた。
1977(昭和52)年正月に、千昌夫が唄う曲の作詞を依頼された。曲名も決まっておらず、発売日を訊くと「4月」「B面の曲:ふるさとの歌」と言われた。4月発売なら『春の詩が良い』と思って思案を始めた。
時は、千昌夫がジョン・シェパードと夫婦でナショナルの【クイントリックス アップダウンリモコン】CMに出演して、コミカルなやりとり‥‥
  千「ウッディクイントリックス にしても・・・」
  ジョ「Woody Quintrix Panacolor」   
  千「母ちゃんは英語がうまいもんだから どこで覚えたの?」
  ジョ「イワテケ~ン!」 
  千
ジョ「♪~ウッディクイントリックスパナカラー」

と、「イワテケ~ン!」が流行語‥‥今で言うバズっていたので、歌の季節は『春』舞台の場所は『イワテケン』が旬と決めました。
 しかし、岩手県はおろか東北へは行ったことが無い私には、岩手の景色が全くイメージできない。私の故郷・南牧村は標高1300mにある高原の郷でほぼ同じであろうと想像することにした。子供の頃は春をどの様に知ったか‥学校へは30分程かけて八ヶ岳おろしにあたりながら通った。そして、春になると南風にが吹いてきて春を感じた。
冬のどんよりした暗い空色から春は明るい青空に変わる。青空に合う色は白‥白樺を使った。助詞を使って詩を書くと文章が長くなるので、名詞だけを使って画面を置いてみた。当時はこれがウケた。
 この画面の中で子供の頃の想い出で、何を言いたかったのか‥
1番の歌詞では、おふくろが息子に送り物をする。中身は何が入っていたか‥‥のちにクイズ番組で『中身は何が入っていたか?』取り上げられたが‥‥品物にするよりは『小さな包み』にした方が、聴いた人が勝手に想像を膨らませてくれる。
そして、一番言いたかった事は、3番の歌詞‥『あにきもオヤジ似で‥‥』だった。なぜかと言うと、小学1年でオヤジが心筋梗塞で亡くなってしまい、母が一人で育ててくれた。それの母をサポートしたのが12歳年上の長兄が働きに出て仕送りをしてくれた。
それの母をサポートしたのが12歳年上の長兄が働きに出て仕送りをしてくれた。お陰で北高、早稲田で学ぶことができた。そのために『ふるさとの歌』に兄貴を登場させたかった。
もし、オヤジが亡くならなかったら兄は家を継いでいただろから、こんな風景もあるのかな?‥オヤジは酒を飲まなかったが、
 千昌夫も同じ境遇で、小さい頃に父親が死んでしまい、兄の世話になった。「そこの歌詞で会場の反応が違った」と言い。すぐには売れないが長くこれを唄い続けたい‥とも、ジワジワ売れる歌、杉の『すきま風』も同じパターンだった。『北国の春』も1年半かかってヒットした。

 レコード会社は売れないと新曲を出したがる。新曲のレコーディング予定日なると、千は「頭が痛い‥」「今日は腹が‥」とレコーディングを延ばして『北国の春』を唄い続けた。それが功を奏して、1年半後には200万枚(累計300万枚)以上のミリオンセラーとなった。杉の『すきま風』150万枚を書き換えて、日本レコード大賞ロングセラー賞と同作詞賞を受賞した。
皆さんに愛唱されて、国外でも『北国の春』は唄われるようになった。中国語を始め韓国語、チベット語、タイ語、ベトナム語、ミャオ語、モンゴル語、ポルトガル語タイトルを変えてカバーされた。しかし、当時はどこの国でも訳詞するのになんの制限も無かった。
歌詞を忠実なのは、呂遠(元中日友好協会理事)の翻訳で中国で紹介されている。私の知っているだけでも中国語で6曲ある。テレサテンの『我和你・わたしとあなた』 余天(ティン・ユー:台湾)『榕樹下・ガジュマルの下で』彼はドリフターズのリーダーいかりや長介の様なコメディアンだったが現在は民主進歩党所属の立法委員。鍾文康(香港・広東語)『故郷的雨』 葉啓田(台湾)『晴空万里・青空どこまでも』などで、テレサテンの『我和你』が訳されて東南アジアに拡がったと聞きます。
 シンガポールへ旅をしてレストランに入ると、テレサテンの『我和你』が流されていた。ウエイトレスに「この曲はオレが作った歌なんだ」と言うと、「これは中国の歌。あなたは日本人でしょ!」と全く話にならなかった。
何処の国でも唄って貰ってもいいのですが、当時は1銭も払わずに勝手に訳詞して唄っていた為に金にはならなかった。しかし、皆さんが唄ってくれるのが、嬉しいなと喜んでいるほうが良いのかもしれません。
 私は昨年までの6年間、日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長をしておりましたが、やっと外国からの著作権が払われるようになった。金額はチョボチョボですが‥‥(笑)
 『北国の春』発売から45年。私にとって大きな財産で、日本の歌謡曲界にとっても大きな存在となっている。『北国の春』とイルカの『なごり雪』の2曲は、春先になるとどこの局でもオンエアしてくれる。大変有り難いことです。

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   合同懇親会
   司会進行  幹事 小林 克己 (73回S52年卒;臼田)
 開会にあたり一言申し上げます。本日は吉岡 岳南会会長、柳澤 北高学校長、長田 南高同窓会 会長、中村 南高学校長にはご出席いただきましてありがとうございました。また、県人会から髙坂会長始めお三方、県大阪事務所の中島次長にもご参席いただきました。
 私事ですが、連休に実家に帰り親父の17回忌の法要を執り行いまして、その挨拶で、私が野沢北に合格した時に親父が『良くやった』と大変喜んでくれました。いで先生のお話を伺いながら、【これが一番の親孝行だったな】と思いました。親父は勉強が好きだったけれど高校へ行く機会に恵まれなかったので、戒名に【学】を入れて貰いました。
大学を卒業してヤンマーに入社して44年その間には海外駐在の経験しましたが、今年65歳の定年になります。女房に佐久に帰ろうと言ったら「田舎に住むのはイヤ」と言われてしまいました。
妹は南高の卒業生で、今度は新校の同窓生になります。新校が佐久地区のNO1の魅力ある高校になることを願っております。

   開会挨拶  井出 関西岳南会 名誉会長
 いでさん、素晴らしいお話を聴かせていただき有難うました。挨拶と言うことですが、話が重複してしまいますので早速懇親会に入らせていただきます。

   来賓挨拶  吉岡 徹 岳南会 会長
 今年も南高の皆さんと語り合う時間を楽しみにしていました。私の叔母が関西鈴蘭会の初代会長でしたが、今年92歳で生駒市に住んでいます。昨日12日に逢いに行きました。元気にしていましたが、少々眼が見え難くなってしまいましたが、『皆さんに宜しく』と申しておりました。
何れの日にかは同じ同窓会となる会ですが、これからの時間が楽しみです。

   来賓挨拶  長田 芳子 野沢南高同窓会 会長
 今年4月に同窓会長を仰せつかりました。南高には保健体育の担当で赴任しましたが、体操部の顧問を務めさせていただき、先輩の先生方に教えていただきながら他校にも体操部が無かったこともあってか長年の勤務で、定年前の2年間は学校長を務めました。
 定年後は同窓会の副会長に推されて、偉大なる前任の中島会長の背中を追いながら会務をべんきょうしておりましたが、3月末を以って中島会長を始め先輩副会長・理事の方々8名が揃って退任されてしまいました。
新メンバーは同級生ばかりで戸惑う事が多いですが、皆で力を合わせて取り組み、地域の皆さんが期待を抱き、意欲的な生徒が集まるように、人脈を拡げて人材に集まっていただき関西の様に合同開催ができるようにしたいと思います。

   来賓挨拶  柳澤 野沢北高 学校長
 昨年来、生徒の前で話したり文章を書く事が多くなりました。
同級生がある大学の教授をしていて、電話をしたところ生憎と席を外していた為に対応した大学院生に「野沢北校の校長の柳澤から電話があったと伝えて欲しい」と逝ったところ、その院生が急に緊張したのを感じました。後で聞くと「母校の校長から突然話しかけられて吃驚するのは当然だ」と言われました。
生徒達には、『卒業後あらゆるところで先輩に力になって貰える、お世話になるから、先輩を大切に・礼儀正しく接しなさい』と言っております。
在学中野球班に所属していたが、部費を一切納めていない‥これは同窓生の寄付・支援で大変有り難く思っておりました。新任で野沢南高の野球部の顧問になって、転勤してからも野球部の顧問を務めました。旧制女子校では飯山南・篠ノ井・小諸と経験しましたが、女性の同窓会の会長には大変なオーラがありました。
同窓会の皆さんには大変お世話になっております。在校生も新校になっても北高・南高の先輩の方々には生徒達を可愛がり、ご指導・お世話をみていただきますようお願いいたします。

   来賓挨拶  中村 野沢南高 学校長
 4月より校長に就任致しました。1ヶ月を経て先ず思った事は、生徒達が素直で明るく花園‥男子も居ますが(笑)のような雰囲気が有り、挨拶がしっかりと出来て、部活も頑張っている良い学校に赴任できたな‥と感じました。
私は、北高の59年卒80回生で柳澤 北高校長の1年後輩になり、芦原中学でも後輩で、部活は違いましたがいつも『カッコいい先輩!』と思っていました。
 皆さんにご教授いただき6年後には、誰もが憧れる学校になり南高の生徒達が『この学校に来て良かった』と思えるような学校創りに努めたいと思います。

   乾杯  近畿長野県人会 髙坂 昌利 会長
 誠に僭越ではございますが、ご挨拶申し上げます。私は長野市松代の出身で長野高校を卒業しました。前同窓会長は前長野市長の加藤久雄氏が務めていました。
 本日この場に参席致したのは、中井さんから『いではく氏が来阪してお話をする』と聞いて、是非とも拝聴したいと思い参じました。県人会では8つの同好会があり、その中にカラオケ同好会を開催しています。例会ではいつも、いではく先生の『北国の春』を唄い、最後には県歌『信濃の国』を6番まで斉唱しています。
    🥂  カ ン パ イ ❕ 🥂


   食事 歓談

   挨拶  井出 良浩 (78回 57年卒;八千穂)
 現在西宮市にある兵庫医科大学の病理部で、毎日顕微鏡で検体を診てガン等の病気の診断をする仕事をしております。この3年間はコロナ渦の為に、直接ではありませんが病変部の検体に加えて検査の依頼が増加して忙殺されていました。ワクチン接種も進み治療薬も開発されつつあり、やっと本来の職務ができると思っいます。
 出身は八千穂です。名誉会長の井出千束の甥になります。また、叔母も若かりし頃に、いではく先生と関わりを持っていたことを知りました。人との出会いを大切にして、微力ながら関西岳南会の発展に寄与したいと思っております。

   挨拶  須田 昌宏 (82回・S61年卒;中込)
 若手には見えない‥と声を掛けられましたが、本日のご参集の皆様の中では最年少です。とは言っても企業内では既に役職定年を迎えております。
 勤務先は、山科にある科研製薬の研究所で新薬の開発に携わっています。皆様は『クスリ屋はボロ儲けしている』と思われるでしょうが、医療用医薬品の価格は国が決めています。更にその価格も下げられるばかりです。新薬を開発して販売すれば良い‥と思われますが、膨大な開発費と時間が掛かりますので、簡単には解決しません。
 関西には2名の同級生が居ますが、本日は仕事で都合がつかず欠席となり、代表して挨拶をさせていただきました。本会での先輩方のお話は大きな力となって啓発される事が多いです。これからも宜しくご教授・ご指導をお願いします。

   挨拶    中島 信夫  長野県大阪事務所 次長
 長野県大阪事務所の次長を務めております中島です。出身は木曽郡大桑村(南木曾と上松の間) で、蘇南高等学校を卒業しました。実は昨日中井さんから電話があり「単身赴任で土曜日は暇してるだろ?いではくさんのお話しが聴けるから、出てこいや」と言われて参りました。
会場へ入ってから初めて野沢北高・南高の同窓会だということを知りました(笑) 野沢と関係を考えましたが、残念ながら所長は飯山・私は木曽・係長は中野、何年か前には南高の卒業生がいたんですが、またいつか卒業生が赴任した時には宜しくお願いします。
 県の職員ですので、大阪へ来る前は諏訪清陵高校の事務長をしておりました。当時の学校長は、平成24年4月から26年3月まで野沢北の学校長を務められた西沢宏先生で、今は松本市の私学の校長をされています。
また、北陸新幹線が来年3月に敦賀まで延伸されるので、県としては関西から観光客が北信地区へ入って貰えると期待しています。北信地区へ入って貰えると期待しています。

   閉会挨拶   関西鈴蘭会会長  佐野 泰子
 皆様お疲れ様でした。作詞家のいではく氏の講演お礼と来賓の皆様、会員、長野県人会の皆様の参加して頂いたお礼と岳南会事務局への感謝を申し上げます。、
私の在学中は女子高でしたが、南高は今は男女共学で、近い将来北高と統合される計画が決まり、時代とともに変貌する母校、それにより同窓会の在り方も変わろうとしております。コロナもまだ収束しませんが、皆様お身体にはお気を付けまして、次回の総会に又、お会いしましょう。本日は有難うございました。

    閉 会